2015年

3月

23日

音から生まれた世界

今日ぞくっと来た記事。
いつも読ませていただいているブログをリンクさせていただきます。

私達は、そして世界は、音から生まれたのかもしれない。。。。と


紹介されていた本を思わずぽちっと、購入してしまった。


最近毎日のように時間を見つけてはピアノに向かっています。

もう長い事ずっと離れていたピアノになぜこんなに引き寄せられるのか不思議だけど

自分自身の根っこの部分に戻っていっているような、いるべき場所にようやっと、落ち着けるようになったような

そんな不思議な感覚があります。

 

音は私達そのものなのかもしれませんね。

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2015年

3月

12日

神奈川県津波浸水予測見直し

震災から四年。

昨日は色々と考えました。

ほんとに、震災後から、怒涛の日々をすごいていました。

あの日以来です。背骨の真ん中あたりがず~と痛い。

まだ時折、痛くなります。

震災直後、湯河原中学校移転を求める署名運動に奔走しました。

神奈川県西部地震の最大津波は6.8m

6.8mの津波でも海抜7mの湯河原中学校校舎は浸水しないとの見解で、強引に海沿い校舎を購入、今も湯河原中学校は当時のままです。

そして四年目の今になって、神奈川県は津波予測の見直しをしました。

最大津波13.3m

なぜ、今このタイミングなんでしょうか?

というか、このタイミングだから、なんでしょうね。

ほとぼりがさめた頃に、責任逃れのように、こういう数値が出てくるのでしょうか・・・

当時議員さん方も、教育委員会も、湯河原に津波はこないと、断言されておりました。

そう言わざる得ない事は良くわかっています。

彼らを責めてももうどうにもならなかったのかもしれないけれど、署名活動をしてよかったと、今でも思う。

人間の醜さもいっぱい経験しましたが、人間の温かさも沢山知りました。

結果的に何も言えない立場の人たちを追い込んでしまったのかもしれませんが。。。

今でも湯河原に住み。日常的に海岸線を車で走ります。

大きな津波が来る日があるのだろうかと、想いながらも

やっぱり海を眺めていると、運命を共にして生きるのもいいのかもしれないと思う。

もし買い物途中に津波が来て逃げられなかったら、それも運命かもしれない。

原発の問題も同じように、海外へ逃げる事もひとつの手だけれど

この日本で不安を共有しながら日本人として生きる意味を今は深く考えています。

悲しみや不安を胸に秘めつつ、みんなの平和を願ってやまない。

湯河原中中学校校舎買い取り反対

原発反対を声だかに叫べる私は、実はほんとうに幸せものなのかもしれない。

何のわだかまりもなく、生きているのだから。。。

最新の津波予測です。

http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/753345.pdf

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2013年

3月

10日

震災から2年

今日は福島の声を伝える「ロードサイド」上映会のお手伝いと、さよなら原発小田原パレードに参加し、震災からの2年に思いをはせました。

 

ちっぽけな私一人にできる事などかぎられていて、

こんな形でのボランティアをするぐらいしか、できる事はない。

2年という月日が、ここではもう、風化しつつあるようにも感じます。

 

私の中での震災は、同時に湯河原中学校問題と向き合ってきた時間でもありました。

原発問題も、中学校問題も、すぐには何も変わらず、不安というものといつも隣り合わせの状況の中、私達は今を生きている様に思います。

 

私はほんとに今の状況がとても不安です。

一歩間違えればとても深刻な状況に、というか、すでに福島はとても深刻な状況であるはずなのに

なぜ後戻りする勇気がこの町にも日本という国にも持てないのか。

それが不思議でなりません。

 

もう一度、大きな事故が起きたら、人は目を覚ますのでしょうか?

時折そんな怖い想いがよぎります。

でも、もう一度、同じ事故がおこったら、もう日本という国には住めなくなってしまうのでしょう。

そんな危険をはらんだ原発があちこちに存在する国に、気がついたらなってしまったんですね。

原発事故が起こってはじめて、その事に気が付くなんて、

なんて恐ろしい事かと、思います。

 

まだまだ自分の知らないうちに進んでいる事がきっと沢山あるのでしょうね。

 

いつもブログを読ませていただいてるかねごんさんのブログ

 

明日3月11日がやってくる

 

最後の言葉、

「僕ら東北人の戦いはこれからだ。」

とても心が痛いです。

 

 

 

追記

 

辛淑玉さん講演をぜひ聞いてみて下さい。

福島の現実がよく語られています。

私達の町で、震災が風化しつつある中で、福島では今も辛い戦いが続いています。

 

 

 

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2013年

3月

05日

新しい生活へ

一か月後に引っ越しをすることになりました。と言っても町内です。

周りには知り合いも沢山、新しい土地へという感覚はないですが、新しい住まいはそれだけでワクワクします。

そして一か月後には娘は中学校へ入学。

新しいご近所さん、新しい友達。

出会いがまた生まれる事にワクワクです。

 

今の家は海まで数分。窓からは海から登る朝日を拝むことができ

それが何よりも自慢でした。

ちょっぴり残念な気持ちもしますが、これもご縁なんでしょう。

 

新しい家の、いいところ、たくさん見つけていきたいです。

気付けばもう春です。

梅も見事に咲いています。

ここのところ、忙しくてちっとも山にもいけていません。

ので、あまり写真も撮っていないのですが。

 

忙しいっていうと、マイナスイメージかな。

 

楽しくって忙しい。

楽しい事で忙しい。

忙しいじゃないね。

楽しい事で溢れてます!これでいこう!

 

環境が変わったら、自分磨きにも力を入れていきたい。

ずっとお休みしていた陶芸教室復活したいし、畑仕事ももっと力を入れて。

 

春ってなんだかワクワクといますね。

冬の間眠っていた感性が花開くようです。

 

 

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2013年

1月

24日

インターネット

近頃では情報源はもっぱらインターネットです。

私は実はネット歴は長い。

まだブログなんて便利なツールが生れる前から自分のホームページを作って、くだらない日記を書いてきました。

 

私の仕事はテクニカルイラストレーター

というと、なんだかよく分からないと思いますが、

機械図面やらなんやらを書いてます。

昔はドラフターと呼ばれるどでかい製図机を利用し、ロットリングという専用のペンを使い、手描きで図面を描いていました。

 

時代の流れで、17年~18年ほど前か?業界もパソコンに入れ替わった。

その入れ替わり時期を経験してきた世代です。

当時は誰もパソコンの先生などいませんから、みんな自力で覚えた。

その頃からのインターネットとの付き合いです。

 

インターネットの普及は、ある意味衝撃だった。

私が正しいと信じていた多くの事が、実は違うのではないかと、気が付くきっかえを与えてくれたのが、インターネットだったように思う。

 

近頃ではもっぱらfacebookを利用しています。

皆さんが多くの情報を与えてくれます。

それが間違った情報である事も考慮していく必要はあるけれど

さまざまな見方の主張を見る事で、物事は一側面では語れないものだという事も学ばせてもらっている。

 

日本はとくに

皆、横並び、同じ教科書、同じ机、同じ給食で、足並みをそろえる事を求められてきた。

その教育がいいかどうかは別として

インターネットの普及で、さまざまな価値観が生れ、今までの様に「みんな横並び」価値観はもう時代にそぐわないのではないかと思わずにはいられない。

 

これからの時代、どうなっていくのでしょうね。

不安も多いですが、それ以上に私は、なんとかしようという仲間達の声を強く感じ取ってます。

 

まだまだ人間はすてたもんじゃない。

そう思っていますよ。

 

 

 

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2012年

7月

26日

地球は狂いはじめている?

ちかごろすっかりツイッターやfecebookの利用が増え、ブログの更新が滞りぎみ。

まあ、それも時代のながれかなとは思う。

 

最近の私は、やっさ祭りに向け毎晩太鼓の練習に通っています。

今年も子供達、むちゃかわいく、みんなの名前をおぼえるのに、おばさんは必至です。(笑)

子どもと地域の大人が一つになれる祭りは楽しい。

 

毎年、練習の合間に、子供達が土からようやくはいでてきた、セミの幼虫を捕まえて、ご丁寧に見せてくれるのですが、

なぜか今年はあまりみかけないんですよね。

 

日中もあまりセミの声が響かない。

いつもセミの大合唱だったのに.....なんでかな。

 

 

今年は寒冷化する?と思われていたものの、やっぱり夏は暑いです。

でも、予想によると、来年も、寒冷化の傾向が強いかもとの記事も目にする。

 

一方で、北の地域では猛暑による被害が拡大しているようだ。

最近よく読ませていただいてるブログ「In Deep」では、グリーンランドの氷の97%がたったの4日で解けてしまったと紹介している。

記事はこちら

 

また、別の日の記事にはこんな言葉がつづられていた。

「経験則が通用しない今の自然界」

 

やっぱりどこか、地球が変動の次期を迎えてきているという事を感じずにはいられない。

想定外は通用しない。

想定外はあってはならない。

そんな言葉を、あの震災後、何度も何度もあちこちで叫ばれてきたように思うが、

 

そんなレベルではないぐらいの変動が、もしかしてこれから起こる可能性も

ないとはいえないかも....と。

ふと思ったり....。

 

 

 

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2012年

7月

04日

「死」について考えて見る

 先日、本屋で一冊の本に出会った。

大往生したけりゃ医療とかかわるな」自然死のすすめ

 

より良い死に方について書かれていた。

 

死ぬのはがんにかぎる

がんで死ぬんじゃないよ、がんの治療で死ぬんだ

本人に治せないものを、他人である医者が治せるわけがない

手遅れのがんでも苦痛なしに死ねる。

 

目から鱗の言葉が次々書かれている。

 

死というのは自然の営みですから、そんなに過酷ではないのです。痛みや苦しみもなく、不安や恐怖や寂しさもなく、まどろみのうちに、この世からあの世へ移行する事だと思うのです。

それなのに、点滴をしたり、鼻チューブをしたり、無理やりに生かそうとすることで、必要のない苦痛を与える事になっている。

過剰医療の問題点を指摘されていました。

 

この著者の中村さんは、医療にはお世話にならない、救急車にも乗らないと決めているそうです。

ご自身がお医者様なので、ご自分で医療の限界に気づいていらっしゃるのかもしれません。

さすがに、薬を飲まない私でも、何かあれば救急車のお世話になりたいなあ~とは思うのだけど、中村さんの決意は潔いなあと感じました。

 

この本にも書かれていますが、病を治すのは結局は自分の力。

薬で治った、医療で治ったと思うのは間違い。根本は自然治癒力で治っている。薬や医療は補助でしかない。

その事をきちんと分かっていれば、

自分自身の力を信じる事ができるのかもしれない。

 

そしてね、

生きているうちに、家族ともっと「死」について話し合いなさい。

やはり人は、生きてきたように死ぬのですと、書かれてあります。

死ぬことを考えるという事は、今生きている事を考える事になるという事なのでしょう。

 

 

私は実は健康診断は受けていません。それからがん検診も一度も受けた事がありません。

40歳もすぎた年齢になりますと、乳がん検診、子宮がん検診、そして毎年、健康診断のお便りが届きます。

でも即、ごみ箱へポイです。

そういう事を言うと、周りから奇妙な目で見られるので、あまり口にはしないのですけどね(笑)

この本の著者の中村さんも検診を受けない。検診には否定的との事で、

私の考え方も、あながち間違っていないかも、とちょっとうれしくなりました。

 

私はもう、40年以上生きてきました。もう十分だと思っています。残りの人生はおまけと思って生きています。

もし、なんらかの病気にかかってしまっていたとしたら、潔く受け入れようと思っています。

そしてできれば、気が付いた時には手遅れになって、中村さんの言うように、抗がん剤治療などせず、安らかに死にたいなあと思っています。

それなのに、下手にがん検診などして早期発見などしてしまったらどうなるでしょう?

抗がん剤治療を強要されるでしょう。そしてとりあえず摘出できたとしても、「再発」という恐怖におびえる日々を送る事になるのではないだろうか。

それこそもう、医療漬けの一生になってしまいます。

そんなの私はごめんだ。知らない方が幸せという事もある。

 

いつ死んでもいいと思っていますが、人一倍、しっかりと生きています。

明日死んでも後悔しないように、今日を終えるようにしています。

食事にも気を使い、夜更かしもしませんし、運動はそれこそみっちりやってます。

検診を受ける事よりも、そういう事の方がずっと大事ですよね。

 

 

がん検診の不利益について、本に書かれていたことを抜粋してみます。

 

  • 検診によって100%がんが見つかるわけではない
  • 過剰診断により、過剰な検査や治療を招くことがある
  • 心理的な影響。精密検査が必要という事で、不安を感じる場合がある
  • 検査には偶発性がある。たとえば内視鏡検査で出血や穴が開くなどの可能性があり、極めて稀には死亡することもある
  • 放射線被曝の問題がある。「がんの誘発や遺伝子的影響が全くない」とは断定できない

 

検査は絶対ではないという事を肝に命じ、受けるか受けないかを個人で判断する事が大事ですね。

がん検診を勧めるお医者様の本も読みました。みんながみんな、検診を受けるようになれば、がんは減ると。

今やがんは治る時代。検診で早期発見できれば、がんは治るのですと。

でも本当にそうなんだろうか?

 

 

無駄なものなどこの世に存在しない。

自然農の考え方です。

雑草や虫を敵としない。共存しながら野菜を育てる事を実践していく。

病も同じでしょう。

「病」や「死」を敵としない。悪い事と考えない。

多くの「死」によって、私達は支えられて生きてきたのですから、

今日という一日をどれだけ精一杯生きられたか。

豊かな死を迎えられるように、今を生きたいですね。

 

 

ああ、そうそう

余談ですが

アイヌのアシラレラさんは、ご自分のがんを、祈りで治してしまったそうです。

ほんとに人間って、計り知れない力を持っているのかもしれないですね。

 

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2012年

6月

16日

美しさ

先日のヨガ教室で

先生がポーズの手本を見せて下さいました。

 

うわ、むちゃくちゃ美しい。

ラインが、きれい。

おもわずほれぼれ。

 

先生なんだから当たり前なのかもしれないけど

ほんとにポーズの一つ一つが美しい。

 

私は何年か前に

ある女性の顔をみて、とても美しいと思った事があった。

その方のお顔は、シミだらけで、日に焼けていた。

自然体で生きているんだなあって事が、体全体からにじみ出てて

本当の美しい顔ってこの人の事をいうんだと、はっと気が付いた。

 

それから化粧も、乳液や化粧水も、日焼け止めも塗るのをやめた。

なんだかとてもばからしい、”白い肌”に見せる、仕立てる事に、美しさを感じなくなった瞬間だった。

 

顔に現れるシミが美しいと見せられる生き方ってどんな生き方なんだろうかと思う。

ただ、顔中しみだらけにすればいいってもんじゃない事は分かっているけど、まだ私には中身がかけているわね。(笑)

 

 

ヨガの先生はほんとに美しいなあと思う。

美しい生き方をしているからなんだと思う。

自然と、人が集まってくる。

近頃ほんとに生徒さんが増えて、いつも沢山の方がいらしている。

週に1回のお教室だったのが、生徒さんがどんどん増えて、来月からは週に3回になりました。

 

 

そして不思議と、これまた素敵な方達ばかりが集まってくる。

不思議な、引き寄せのパワー

 

そんな素敵なヨガ教室はこちらです。

 

http://www.k4.dion.ne.jp/~studio.c/

 

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2012年

6月

13日

真実かどうかでなく、何を選んでいくかだと

ネットには膨大な情報が存在している。

どれが真実であり、どれが偽りであるのかどうかは

もはや全くもって判断する事も難しい時代になってきた。

 

では、その情報を受け入れるかどうか、どこで判断するのか、

それはフィーリング、感覚、あんがいとそんな曖昧なもので、良し悪しを判断している様に思う。

 

その文章を読んで、この人はきっとやさしい人なんだろうなあとか、誠実な人そうだな。

とか、こいつは口が悪いから嘘ばっかりついてそうとか。

 

そういう意味でいうと、文章力のある人の方が説得力があるのかもしれないですね。

 

とにかく

最近思う事は、私が選んでいる日々のひとつひとつが

本当に正しいかどうかは分からない。

場合によっては間違った選択をしている事もある。

 

という事を、忘れないように日々生きなければと、

 

なんとなく、そんな事を書いてみたくなったのでした。

 

 

 

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2012年

5月

11日

振り回されないで生きていく方法

今日も畑作業。

もくもくと草むしり、そして大豆ときぬさやの種を蒔きました。

さて、今年は少しは成果を出せるかしら?

 

実はここのところ本業のパソコンのお仕事がのんびりペースです。

というわけで思う存分畑に足を運べています。

このまま農業にシフトしたい、という思いもふつふつとわいています。

今が転換期なのでしょう。

生き方を変える時だと思います。

お金に振り回されないで、自分の力で生きていく方法を今、模索中。

 

電力に振り回されるのももういやですね。

これだけ皆が大きな不安や傷を負わされて

なお電気料金値上げ?

ありえませんし、そんなものにお金を払うなんてほんとうに納得がいかない。

 

ならば払わなくていい生き方をしていくしかないですよね。

できる事から少しずつ、変えていこうと思います。

 

太陽光発電はまさに強い味方です。

でもこれだけでは、携帯の充電、掃除機の充電、テレビ、パソコン。程度です。

 

あとどうすればいいか。

 

炊飯器、冷房はもともと使いませんのでこれからも使いません。

 

照明はLEDに変えました。これだけでもかなりの節電になるはず。

 

ドライヤーの使用をやめました。

思えば髪をロングにのばしていた時はドライヤーは使いませんでしたが、髪を短く切ってからどうしても髪がはねるのでドライヤーを使うようになっていました。

ぼちぼち髪も伸び始めたので、そろそろもう、必要ないと判断。

なくても別に困らない。自然乾燥すればいいだけの事。

やめてすっきり。

 

 

一番電力を消費する電子レンジ

これもやめようと思います。

電子レンジは電磁波の問題も指摘されてます。

電磁波は正直なところ、目に見えないし弊害が分かりにくい、という事で、気にしてない方も多いかと思う。

そういう私も、それほど気にしていたわけでもないけれど、

色々ネットで調べてみると、食品が電子レンジのマイクロ波により急激にエネルギーを与えられることにより活性酸素が増大したり、加熱される食品が変化して体内で代謝出来ない物質に変性する、などとの説もあるらしい。

体への影響が本当かどうかはここでは問うつもりはない。

それぞれが判断して選択していくしかない問題だと思いますが

私は、今回の電力問題をひとつのきっかけとして、電子レンジの使用をやめようと思いました。

色々調べてみると、電子レンジを使わない生活もなんだか魅力的に見えてくるから不思議!

電子レンジを使わずに冷やご飯をおいしく食べる7つの方法!

 

 

パンをフライパンで焼いてみる。

うちにはホームベーカリーがあります。

気軽に手作りパンが作れてかなり便利。

だけど、これもかなりの電力を必要とします。

そしてふと、以前、石垣島に旅行に行ったとき、そこのオーナーが手作りパンをフライパンで作っていたことを思い出す。

んで、検索してみると、ありました、レシピが。

 

お手軽!フライパンでパン作り

なんだか楽しそうですよね。

これからはパンはフライパンで焼いてみようかな。

 

あとは冷蔵庫と洗濯機ですね。

発電力をアップするしかないかな?

一昔前にもどって、洗濯は手洗いとか.....。ここまでくるとさすがの私も二の足を踏んでしまいます。(笑)

ぜひ、どなたか、非電化洗濯機、開発してください。

ちなみに非電化冷蔵庫はあるようです。

 

もう少し自家発電量をアップさせる事も今後考えていきたいと思っています。

手軽に導入できる風力発電はないかと色々と調べています。

おそらくはこれからどんどん、家庭に導入できるお手頃価格の発電システムが出てくることでしょう。

なんとかあともう少し発電量をアップできれば、

おそらく本当に、すべての電力を自給できるのではないかと考えています。

 

小さな努力の積み重ねで

原発を再稼働させないように。

 

生き方そのものを

楽しくおおらかに!

変えていきたい。

 

そしていろんなしがらみから自由になれますように!

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2012年

4月

13日

春サラダ

ルッコラのお花を散らした春サラダ

緑のどんぶりさんの無農薬野菜です。(トマトはスーパーで購入)

この時期はキャベツ、ブロッコリー、ホウレンソウ、菜の花、いろんな葉のベビーリーフ

毎週食べきれないほどのお野菜が届き、毎食美味しくいただいてます。

幸せです。

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