2011年

4月

30日

コズミックダイアリー

ヨガ教室で、コズミックダイアリーをいただきました。

「毎日このダイアリーに日記を書き込んでみて、きっと新しい発見があるから。」

との事で、とりあえず続くか分かりませんが、やってみる事にします。

 

どんな変化があるか、楽しみです

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2011年

4月

29日

今まで考えてこなかった防災の事

友人に片田敏孝さんの事を教えてもらいました。

 

小中学生の生存率99.8%は奇跡じゃない

 

防災教育の大切さを今回の大震災で本当に学びました。

防災教育がもっとしっかりしてれば、多くの命が助かったのかもしれない、と思うと、やりきれない気持ちでいっぱいです。

 

海の町、湯河原に住んで9年近くなる。

湯河原の過去の震災状況、そして、今後起こりうる地震の事。

今まで何も知らなかった事に、本当に気付かされた。

 

実家は藤沢ですが、海から5キロほど入ったところなので大丈夫だろうと思っていましたが、近くに川が流れていて

大津波がくればこの川を上ってきて、川周辺は浸水する可能性もある。

という事もわかった。

 

グーグルのFlood Maps

 

今まで本当に何も知らない、考えてこなかったんだという事にショックをかくせない。

そして町計画も、過去の災害を考慮にいれないままなされていたことに驚きをかくせない。

 

特に湯河原町は、災害が起こった場合、海側の道は通れなくなり、山側の道も通れなくなり

陸の孤島となる可能性が高い。

町全体で防災を考えていかないといけないのだと思う。

 

この震災を風化させないように、これからの生き方に反映していかないといけないのだな、という事を本当に感じています。

 

 

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2011年

4月

27日

上映会のご案内

根府川で、「ミツバチの羽音と地球の回転」上映会が行われます。

ちょこっとだけ、お手伝いさせていただく事となりました。

また素敵な出会いをいただけて感謝です。

この映画、見たいと思っていたので、今から楽しみです。

そして、この小さな町でも、しっかりと問題意識をもって活動されている方がいるんだという事に

なんだかとてもうれしいです。

 

 

 

 

いのちの林檎の上映会も、また折をみて再開するつもりです。

放射能、見えない恐怖に今、多くの方が不安になっている事と思いますが

 

化学物質

 

これも見えない恐怖の一つかもしれません。

被災地の化学物質過敏症の発症者さんはどうされているんだろうと....気がかりです。

 

私達人間は、今さまざまな問題をかかえています。

その問題をどう解決していったらいいだろうと....本当に考えてしまいます。

答えは見えませんが

 

1人が気が付き

また、一人が気が付き...

そうして、みんなに少しずつでも気持ちが伝われば、何かが変わるのかもしれない。

 

人類が直面している多くの問題を

一つでも解決できるような世の中にしていきたいですね。

 

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2011年

4月

26日

じっくりと

ここのところの忙しい毎日で

カメラと向き合う時間がありませんでした。

 

カメラをのぞくと、その向こうには愛情があふれています。

だから、カメラをのぞくのかも。

 

連休中は一日

カメラをのぞいていよう。

そうだ、山に登ろうかな。

それとも海かな。

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2011年

4月

25日

一歩を越える勇気

わたしは登山が好きです。

登山は人生に似ている。と思うからかもしれない。

 

今日はおすすめの一冊をご紹介

 

一歩を越える勇気

著/栗城史多

 

人が生きていけないデス・ゾーンといわれるヒマラヤ8000メートル峰から、インターネット生中継を行い「冒険の共有」を目指す登山家・栗城史多の初の著書。

 

これは登山を通して生き方をつづった本だと思う。

まだ若い彼だが、生きる姿勢はすごいなと思った。

 

わたしは春の入学式の時に、子供たちに大きな夢をもってほしいと話をしました。

楽な道より厳しい道を、得する道より損する道を、自分のためより人のために

その行動が大きな夢に変わると、そんな事をお話させていただきました。

 

彼にとっての夢を追いかけるってどういう事かを読んで、ああ、いいなあ。

この彼の想いも、子供たちに伝えたい、と強く感じた。

 

彼は「冒険を共有」する事にこだわり、山を登っている。

孤独に山を登る登山家が多い中で、彼は共有することにかなりのこだわりをもっている。

 

かなう夢とは、必ず世のため人のためを考えていて、たくさんの人たちが支えてくれるものだと。

自分の欲望を満たすだけの夢はかなわなくなってしまう。

だからこその「共有」なのだと思う。

誰かが、自分のがんばりによって、一歩を踏み出す勇気をもってくれたらうれしい。

そのために自分は山に登っているのだと。

彼から勇気をもらった若者は本当に多いだろうと思う。

 

「苦しみにありがとう」

苦しければ苦しいほど、その苦しみに立ち向かってはだめ。

すべてをうけいれる事からはじまる。

腕力、脚力、肺活量、すべて平均以下の彼の長所は、呼吸や心拍数を一定に保つ能力が高いそうだ。

「ありがとう」という言葉で体を一定に保つことで頂上に立つ事ができる。

ちくしょうとか、負けないぞ、というような気持ちからは力は生まれない。

苦しみを受け入れ、感謝する事が大事だと。

 

すごいな。

ちくしょうとか、暴言ばっかりはいてるわたしはだめだめだw。

今日からあらためて

 

苦しみにありがとう

 

そうつぶやいていきたいと思う。

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2011年

4月

24日

アメリカインディアン

数か月前に、ヨガの先生に教えていただいた、

 

7世代先の子供達のことを考えて、今を生きよう

 

という言葉との出会い。

 

そして、友人のお店にたまたま

アメリカインディアンの書物よりも賢い言葉

 

があり、自然と手にとり、お借りして、今読んでいます。

胸に響く言葉の数々。

 

アメリカインディアンたちは白人による殺戮で村ごと消滅してしまったところも少なくなかった。

そして、今も、チベット民族は消滅の危機に直面している。

 

争いを好まず、すべては関わりあっている、という彼らの思想は、時として命取りになってしまうのではないだろうか。

平和な心であり続けるという事は、危険を伴う側面をもっており、持続していく事の危うさを感じずにはいられなかった。

心にずきずきと痛みを覚えていたわたしでした。

 

だけど、今、日本人であるわたしの心に、ぽっと、インディアンの心が灯りをともし始めている。

そして今、こういう時代だからこそ、彼らの思想が見直され、生きはじめている。

 

彼らは、ほんとうに長い長いスパンで、世を見通し、一時の苦しみを耐える事になんの戸惑いもなかったのかもしれない。

そして、彼らの思想が確かに、今の私たちに影響をあたえ、世界を変えつつあるのかもしれない。

そこまで彼らには見とおせる力があったのかもしれない。

 

なんて、壮大な思想なんだろう。

今を見るのではなく、7世代先の世界を見通し、彼らは命をかけてインディアンの世界を守ってきたんだ。

すごい。

 

ほんとに、すごい。

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2011年

4月

24日

子供の命を守りたい

神奈川県西部地震の震源地は

早川から真鶴半島先端を経由し、初島まで伸びています。

この地震が明日にでも来るかもしれないと言われています。

そしたら地震と同時に津波が来ます。

海沿いの湯河原中学校の生徒たちは逃げる事もできない状況です。

のんきな事を言っている場合ではなく、早くなんとかしてほしいな。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110422-00000974-yom-sci

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2011年

4月

21日

たったひとつの願い

たったひとつ

 

子供達

今目の前にいる子供達

自分の子供だけではない

町の子供達

日本中の子供達

世界中の子供達

 

そして未来の子供達

 

その子供たちの事を一番に考えれば何をするべきか分かるはずなのに。

 

どれだけの人が子供たちの事を大切に思っていてくれていますか?

どうして大人たちは言い訳するんですか?

 

子供を守りたいという気持ちに、言い訳が必要ですか?

 

 

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2011年

4月

20日

未来の子供たちに...

ヨガの先生に教えていただいた、インディアンの言葉

 

7世代先の子供達のことを考えて、今を生きよう

 

今目の前の事を考える前に、未来を生きる子供たちの事を考えて行動していきたい。

皆がこの思いで向かえば

おのずと答えは見えてくると....

 

 

そう思いたい。

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2011年

4月

19日

只今人生勉強中です

ただいま激しく人生勉強中です。

人生山あり谷なり、どん底なりですw。

 

思えばわたしは幼少のころから世間話、噂話がきらいで、自分の世界にひたっている事が多かった。

集団が嫌い。

学校も嫌い。

 

それがこんなにも集団に関わる状況に陥るとは、人生とは分からないなあ、と思います。

 

わたしはテレビのニュースが嫌い(見てると気分が悪くなる)なので基本見ません。

新聞は紙が無駄。予算削減で取ってません。(母子家庭なので、生活くるしー汗)

ニュースは基本、ネットで入手です。

そしてツイッター。

ツイッターでフォローしている方々はわたしの理想とする方々が多いので、きっとさまざまな面で意識が高く、志を持った方が多いのでしょう。

そんな世界で生きているわたしは、やっぱりどこか、世間とはずれているのかもしれません。

 

現実の世界は違う。

という事を日々、痛感しています。

 

わたしの中には、

人を変えようと思ってはいけない。

という思いがいつもあります。

人は変わらない。

自分が変わっていかなければ。

 

どう変わっていったらいいのか、それがほんとに難しい。

 

集団の中で、求められる事ってなんなのか?

それを学んでいかなければならないのかもしれない。

が、それが難しい。

 

でも、悲観はしてません。

学ぶための試練の時と思っています。

 

とりあえず今の試練に感謝できる気持ちは持てるようになった。

それは自分を変える事ができた第一歩かな。

 

今日、PTAのスローガンの発表をしたのですが、

驚いた事に、わたしの発表に拍手をしてくれた方がいました。

 

とてもうれしかったです。

たかだかスローガンですが、かなり考え、一生懸命伝えました。

その気持ちが、一部の人にでも伝わったのか、という事が、むちゃうれしかった。

 

気持ちは伝わるんだな。

それだけ分かっただけでも、今日は第一歩前進です。

 

今日の出会いに感謝!

 

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2011年

4月

16日

ほったらかしなのに....

ここのところばたばたと忙しくほったらかしていた畑

しっかりと成長している姿に涙こぼれちゃいました。

すごいなあ、えらいなあ、人間様がどたばたしている間も、大地に根をはり、しっかり生きているだなあ。

めぐみに感謝。

 

この畑は無農薬無肥料

そして雑草も抜かないので、基本、ほったらかしなんです。

けど、きちんと育つ。

 

色々見て回ると、同じきぬさやでも、場所によって生育具合がまったく違う。

土地がやせているところ、肥えているところと、あるようだ。

植物との相性とかもあるのかな?

色々見比べてみながら、学んでいかなければ。

 

赤大根にカブはすっかり花が咲いていた。

ルッコラも花盛り。

春菊もつぼみをつけていた。どんな花が咲くんだろう?

今年は種取に挑戦。

そしたらまた来年へと命をつなぐ。

 

分からない事だらけ。

だからこそ、失敗も多い。けど、こうやって育ってくれる野菜もある。

それでいいんだと、勝手に納得。

 

家の庭の植物たちも生育を始めた。

全部

命。

すごいな。

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2011年

4月

15日

明日の自分はどこに?

桜吹雪がきれいな一日でした。

あらためて、桜でいっぱいの湯河原の、海の美しさ、空の美しさ、山の美しさを感じた。

わたしはこの自然の美しさを求めて、ここへやってきたんだった。

 

むかし、一度だけお金を払って占いをしてもらったことがある。

20歳の時だった。

その時に、あなたは転居を繰り返す

と言われた事をふと思い出す。

 

ああ、その通り、転居を繰り返しているなあ。

そして今日も次はどこに住もうかなあ、などと考えている自分がいる。

 

子供が独立すれば、伊豆高原や南伊豆あたりに住みたいとも考えている。

流れ流れて放浪人生。

 

海外に行くことはあるのだろうか?

英語しゃべれないけど、

それもまた楽しいかも、と思ったり。

 

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2011年

4月

13日

今後の南関東地震被害想定

神奈川県のホームページに、地震被害想定調査が掲載されていました。

大変参考になります。

やはり、湯河原町で注意すべきは神奈川西部地震の様です。

震源地が非常に近い事から、被害が拡大する恐れもあるのかもしれない。

西部地震の海水浴客の死者数は湯河原が最も高いそうだ。

死者数や家屋倒壊数など、かなり細かい数字がでているが....どういう基準で割り出した数字なんだ、と疑問も残る。

津波浸水予測図を見ると、南関東地震よりも西部地震の方が、浸水率が高いようだ。

それにしても、関東大震災の時に鍛冶屋の東海道線ガードまで浸水したという経験があるにも関わらず、低い予測だ。

堤防やら、津波対策をしているから大丈夫という試算なんだろうか。

 

どっちにしろ、被害想定の引き上げの声が上がっているので、近い将来改訂される事と思う。

 

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2011年

4月

13日

関東大震災、湯河原の記録

関東大震災

関東大震災とは、192391115832秒、神奈川県相模湾北西沖80震源として発生したマグニチュード7.9関東地震による地震災害である。

津波の発生による被害は太平洋沿岸の相模湾沿岸部と房総半島沿岸部で発生し、高さ10m以上の津波が記録された。山崩れや崖崩れ、それに伴なう土石流による家屋の流失・埋没の被害は神奈川県の山間部から西部下流域にかけて発生した。

揺れの様子を細かくみると、本震による強い揺れは、30秒から1分間位続いたものと推定される。神奈川西部では5分目頃に強い揺れが襲ったことが分かってきた。断続的なマグニチュード7クラスの強い揺れで被害が拡大した。翌年1月15日の丹沢の余震まで、合わせて6つのマグニチュード7クラスの地震が発生した事から、最低半年間は大きな被害を出す可能性の余震に対する備えが必要である。

湯河原町での被害状況をまとめました。


家屋倒壊

土肥村(宮上、宮下、門川、城堀) 総戸数610戸、全壊172戸、半壊156戸、合計329戸

吉浜村 総戸数605戸、全壊304戸、半壊298戸、合計605

福浦村 総戸数160戸、全壊25戸、半壊111戸、合計142

特に被害が集中したのは、門川地区、2件を残し、ほとんどの家がやられ、死傷者も多かった。

福浦、川堀は地盤が固く、被害が少なかったが、崖崩れなどを起こした個所もあった。

吉浜村では新築したての吉浜小学校が倒壊。盛り土であったため校庭が波打ち、地割れ発生

宮下の五所神社上の地域は地盤が堅く被害は少なかった。

 

地震による被害状況

土肥村、総人口4,615名、潰死28名、不明9名、合計37

吉浜村、総人口3,725名、潰死38名、不明3名、流死1名、合計42

福浦村、総人口1,116名、潰死20名、合計20

 

崖崩れ

幕山が大崩壊してくずれた土砂が新崎川上流・紅葉の渡場付近で流れをせき止め、周囲約1町(約110m)深さ約20尺(約6m)の池がにわかに生じた。その後の度重なる豪雨などで、池は消滅しました。

 

津波

岩村、真鶴、吉浜、福浦を津波が襲い、特に真鶴の被害が大きかった。

吉浜海岸は地震が起きて間もなく海水が増加し、一時は県道まで海水が上がってきた。(第1波)しかしすぐに減水して遠く2町(約220m)余り水が引き去った。その後、10分もしないうちに津波が押し寄せ(第2波)、堤防を乗り越えた波は吉祥院の屋根を越えた。津波は道沿いの家の、屋根の下あたりまで来て、60戸あまりが流失。新崎川を上がって行った波は、鍛冶屋の東海道線のガード付近まで行きました。水が引くとき、ゆっくり引いたので、家は流されませんでした。急に引いていたら、流されていた事でしょう。

また、吉浜海岸は地盤が隆起して、現在のような広い砂浜になりました。

 

津波は海底の地形の激しい上下振動が海面に同程度の凹凸を生じさせ、これが波となって伝わり、海岸近くの浅いところで高さを増して押し寄せてくる。大きな津波の先端部のスピードは毎秒10mにもなるので、逃げるのは難しく、破壊力も大きい。また、非常に短い時間で津波が来るわけで、津波警報は間に合いません。関東大震災では海嘯が、第一震と同時に起こったものの如くであったと言われている。また、第一波よりも第二波の方が大きかった。

湯河原町の津波は比較的小さかったと言われていますが、鎌倉で10m、熱海で12m、房総半島の相浜で9.3mと、甚大な被害をもたらしました。

 

 

参考資料

関東大震災その時、西相模は 著/横山正明

写真が語る湯河原今昔 発行/湯河原町立図書館

郷土湯河原II 湯河原町教育研究会編 発行/湯河原町立図書館

湯河原と津波 発行/湯河原町立図書館

関東大震災 ウィキペディア日本語版 

他、

 

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2011年

4月

11日

たまりきった状態なのか?

神奈川西部地震切迫性が指摘されながら、いまだ発生していない理由。

 

箱根の群発地震が神奈川県西部地震を遅らせている

 

文中より。

大震災から既に八十五年が経過したが、温地研は「発生が遅くなる分、より大きな地震になる危険性がある。ひずみの蓄積が群発地震で一時的に止まっても、長い目で見ればひずみはたまり続けている」と指摘

 

 

 

そして東海地震も1000年に1度のより大きな地殻変動を起こす地震になりうるかもしれない

 

東海地震は予想より大きなものとなる?(2007年9月4日付朝日新聞記事より)

 

 

とりあえずしばらくの間

枕元にスリッパと貴重品を置いて寝よう。

 

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2011年

4月

11日

津波浸水予測アニメーション

津波浸水予測アニメーション

 

南関東地震

神奈川県西部地震

神縄・国府津-松田断層地震

元禄型関東地震

 

と4パターンのアニメーションを見る事ができます。

とりあえず明日来るかもしれない、といわれている地震は、神奈川県西部地震

南関東では70年周期で大地震が来ると言われているらしいですが、関東大震災が1923年。とうに70年の周期を越えている。

今日起こってもおかしくない状況です。

地震発生直後に湯河原に津波が来ている事が分かる。

どのような防災対策をとっていくべきか、考えなくてはならない。

 

関東大震災の湯河原町の詳しい資料もまとめ次第、載せたいと思います。

 

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2011年

4月

10日

防災対策

現在、湯河原中学校は海沿いにたっています。

今回の大震災をきっかけに、防災面は大きな課題として早急な検討が必要な状況になっています。

 

2年前に湯河原中学校は海沿い校舎に移転した、という経緯があります。

その当時、当然保護者の中からは津波の心配の声はあがりましたが、行政と対立し、結局はあきらめてしまった、という経緯がありました。

思えば今回の大震災がなければ、正直、私自身もあまり地震についての意識は低く、同様に、移転には反対だけど、行政と争う気はない、ぐらいの気持ちでした。

 

ですが今回の大震災で、”予想以上の被害が起こる可能性がある”という事を知ってしまった以上、なんとかしなければならない、子供たちを守るにはどうしたらいいのか、という事を考えていかなければ、

おそらくは湯河原町事態が、このままでは衰退していく。

子供を守れない町が、発展していくわけがない。

そんな状況に今おかれているのではないか、と危惧しています。

 

まず何をしたらいいのか。

過去の文献を調べてみました。

湯河原町も関東大震災の時には津波の被害を受けています。

具体的な被害状況の把握、将来起こりうる地震の可能性。津波の可能性をさぐる事がまず大事かと思います。

いろいろ資料を探すにつれ、恐ろしい現状が見えてきています。

知らないとは恐ろしい。

まあいいかで、子供たちを海沿い校舎に移転させてしまった、私達大人の責任はとても重い、と、あらためて感じています。

 

そのうち文献をまとめて、できるかぎり皆様にお配りしたいと思いますが、まずは簡単にここで紹介したい。

下記の内容は湯河原町を基準にています。そして、今回の大震災の前に出された情報であるため、数値はいたって低いと考えた方が無難と思われる。

 

 

将来起こるであろうと言われている西湘地区の地震には5種類あります。

 

東海地震

南関東地震

神奈川県西部地震

神奈川県東部地震

国府津ー松田断層帯地震

 

東海地震

今もっとも話題となっている浜岡原発問題もからみ、30年以内に起こる確立86パーセントと言われている

震度6が予想される。

この地震による津波到達時刻予想29分。最大津波高さ予想0.6m

 

南関東地震

関東大震災の再来型100年から200年先には地震の発生

震度7が予想される。

この地震による津波到達時刻予想3分。最大津波高さ予想5m

 

神奈川県西部地震

南関東地域直下の地震として、地震発生の切迫性が指摘されている。震度7が予想される。

この地震による津波到達時刻予想6分。最大津波高さ予想4m

 

 

この数値から見えてくること。

南関東地震が来た時には、津波到達が3分と予想されている。西部地震でも6分だ。

つまり、逃げられないと思った方がいい。

津波警報はまったく意味をなさない。

もし授業中に地震が発生したら、校舎にとどまるしか方法はない。

学校の前には幅広の国道が走っており、ここを渡る事がまず難しと考えられる。

しかも左右を川に挟まれた地形になっており、関東大震災の時に津波が川を沿って上がってきたことを考えると、逃げるには駅方向にまっすぐ向かうしかない。かなりの距離、走らないと高台へは行かれない。

避難する事でかえって危険を招く恐れもあるのかもしれない。

はたして、3階建ての校舎が津波に耐えられるのか、まるごと津波にのみ込まれる可能性はないのか?

そう考えるとただただ恐ろしくなるだけ。

 

どう防災対策を取っていったらいいのか、ただただ頭を悩ましてしまう現状があるのみです。

言うまでもないが、一番は早急に校舎を安全な場所に移転する事。

そして、現在の校舎は県から借りているという状況で、1~2年後に購入を検討している。

町は計画に変更はなく、購入を検討しているとの事。

 

心が痛いです。

とりあえず下の娘は今5年生。

2年以内に引っ越しを検討中。

同じことを考えいる保護者は結構いるのではないかと思う。

このままでは、町から若い世代が離れていく。

なんとかしてほしい....と願うばかり。

 

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2011年

4月

07日

いのち

今話題の孫さんのツイッターをフォローし始めました。

今度は被災地の犬、100頭を受け入れだって。すごいね。

この記事に、

「行方不明がまだ1万人以上いるのに、犬の心配してる場合じゃないでしょ。 」

とのコメントが載る

 

 

子供たちと話した。

「この人は、きっと動物を飼った事がないんだね。どれだけ大事な存在か、わからないんだねえ。

いのちに重いも軽いもないよね。犬だって人間と同じぐらい、大事な命だよね。

命はみんな、大事だよね。」

 

って言ったら

 

「でも、お母さん、蟻つぶしてたよね。」

ドキ~~~~~~~!!!!

「蚊もパチンってたたいてたよね~~~」

ドキドキ~~~~~~!!!

 

ご、ごめんなさい、

これからは、ありんこさんを家族だと思います。

これからは、蚊に刺されても耐えてみます。

でもでも

ムカデは殺しちゃうかもしれない~~~

 

ああ、哀れな人間だわ。

 

って、事で、無駄な殺生しないためにも

ひとりで、蚊帳推進委員会立ち上げます。

真夏の夜は、蚊帳にかぎりますよ。

はい。(笑)

 

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2011年

4月

07日

花粉症治る

息子の花粉症が治った。

びっくりだ。

発症のきっかけは引っ越しだった。

湯河原から、実家の藤沢に引っ越した途端、花粉症を発症。

そして治っていたはずのアトピーまでぶり返し、結局一年間藤沢生活をしたももの、逃げるようにまた湯河原へ引き返した。

そしてアトピーの方はすぐに治ったものの花粉症は計3シーズンは苦しんでいたようだ。

けど、ついに今年

治ってしまった。

環境の与える影響って、ほんとに大きいのだなあと実感している。

それだけ、湯河原の空気は木々に守られているのかもしれない。

来年は高校生。これからは都会へ行く機会も増えてくるのかも。

そう考えるとまたぶり返す可能性も出てくるのかな。

若いうちは仕方がないかもしれないが。

 

わたしは、どんどん、どんどん、田舎にこもっていきたいな、とそんな事を考えている。

やはり、土が恋しいです。

欲は年々減っていく。

必要なものって、実はすごく少ない事に、ようやく気が付いてきました。

 

これからは、本当の贅沢を求めていく時代なのかも。

本当の贅沢とは、たっぷりと時間をこめて、一つ一つに心を込めて生きていく事かな。

まだ無理だな。

一つ一つに、必死になりすぎてます。

日々精進して、学んでいきます。

学ぶ事は多いな。

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2011年

4月

03日

息子と議論

とにかくわたしがおしゃべりなので、うちでは一日中いろんな話題が絶えない。

中学3年生になった息子とは、いろんな議論ができるようになってきたので、楽しい。

そして、彼の世界観はすごい、と思う事がよくある。

 

わたしにはない価値観を持っている。

視野が広いな、と感じる事が多い。

 

原発問題を話した。

今、原発推進派、反対派、半々ぐらいな状況。

今後の原発をどうしていくのかの方向性も見えない。

そんな中でわたしが感じる恐怖は

このまま原発を今止めなかったら、地球はほろんでしまうのではないだろうか?

 

でも、息子の意見は違った。

地球を滅ぼせるほどの力を、人間は持っていない。

人類は滅びても、地球は滅びない。

放射能に耐性を持つ生き物が生き残り、人類がいなくなれば何事もなかったように、地球は生き続ける。

 

だから、どっちだっていいだよ。

原発止めようが、使おうが。

地球にとっては、小さな問題なんだよ。

人間がうざいなって思えば、地球はちょっと地殻変動でも起こして、人類を排除する。

そして、また新しい生命を宿す。

それだけの事だよ。

 

何も知識もない子供だからこそ、導き出せる答えなのかもしれない。

あたふたと原発どーのこーのと騒いでいる大人たちってなんなんだろうな....。

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2011年

4月

01日

イントゥ・ザ・ワイルド

ひさしぶりに映画をみた

イントゥ・ザ・ワイルド

心が痛い映画だった。

実話だったという事に驚いた。

 

裕福でありながら、アラスカの大地に一人身を置く事を選んだ主人公の心の闇は、ここまで過激な思いとして宿ってはいないけれど、わたしの心の中にもあるかもしれない、と思った。

そして、彼と関わっていく人々のやさしさ、彼がいなくなってからの両親の心の変化、そんな中からも、心の痛さがずきずきと胸をうつ。

 

私の中の物質的な欲は、ヨガをはじめるとともに、徐々に薄れてきている。

その理由は、自分が大地の一部であり、大地としっかりと繋がってさえいえれば、そこに本当の幸せがあり、物質そのものに幸せは宿らない、と感じられるようになってきたからかもしれない。

だから、この主人公が目指そうとしたものがなんなのか、なんとなくだけど、わかる気がした。

 

そして、おそらくは最後の時、彼は本当の幸せとは何かに気が付いたのでしょう。

それが、せめてもの救いなのかもしれない。

生きるとは、幸せとはなんであろうかと、あらためて考えさせられた映画だった。

 

 

 

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2011年

4月

01日

未来

今回の震災で、色々な事に気づかされた私達。

いつもより暗い店内。

なんだ、慣れればなんてことない。

今までの過剰な明るさにあらためて気が付いた人も多いはず。

このままの明るさをキープしてくれれば、それでいいと思う。

どうか、元に戻さないで。

シンプルな暮らし方をしていきましょうと、願うばかり。

 

そして、もっと防災対策を、耐震対策を、津波対策をしっかりすれば、原発だって大丈夫、という意見もありますが

わたしが感じる事は

どんなに対策を強化しても、自然はさらなる力で私たちに痛みを与えてくるでしょう。

そしてまた

「想定外でした。」

との専門家の言葉が発せられるだけ。

 

だから、見直さないといけないと思うのです。

今までの暮らし方。

すべては自分たちにかえってきます。

海を汚せば、お魚を食べる事ができません。

大地を汚せば、お野菜を食べる事ができません。

 

大地を敬う気持ちがあれば、心は穏やかになります。

今日の海は美しいです。輝いています。

優しさや愛を教えてくれるのも、この大地や空や海です。

大地と一緒に生きている。

大地の一部なんだって事をもう一度、思い出してほしいと願うばかり。

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