ヨガをはじめてもう4年は経つだろうか。
最近またヨガに集中できるようになってきて、その時々の変化をいつも感じて、体が変わっていくのが面白い。
その段階その段階で、”気付き”はまったく違ったもので、
何年やっても新鮮な驚きや変化にびっくりします。
体の変化もそうですが、心の変化も大きいです。
日々、穏やかに生きられるように、変化している気がします。(まだまだ流れが逆行してしまう時もありますが)
情緒不安定な時を長い事迷走していた気がします。
一番苦しかったのは20歳前後。
それから24歳で結婚。それからも苦悩の連続で。
いつもいつも、明日に不安を感じていた。
「どうしよう。どうしよう。」そんな言葉がなんども心の中で行きかっていた気がします。
ヨガを始めて変わった事は
明らかに何か、見えない力に、引っぱられている感覚がついてきた事。
何ものかに導かれていて、ただ、それに身をゆだねればいいんだという事。
「どうしよう」などと考えること事態、無駄でどうでもいいものだった。
たとえそれがちょっとつらい事だとしても、
それがおこるにはおこるべく理由がある。
だから受け止めればいいだけ。
不安が消えると心が安定する。
心が安定すると、体が楽になる。
私の仕事は不規則なので、仕事が忙しい時、暇な時、とてもギャップがはげしいのです。
仕事が忙しい時は、それはそれで辛いですし
なければないで、生活の不安はいつも付きまといます。
仕事がなければ、家賃も払えなくなってしまうし。。。。
でも、導かれるままに進めばいいと、
心に決めてからは、不思議と仕事も安定するようになったので、とても不思議ですね。
今は少し、畑仕事したいなあと思うと。
時間ができたり。
プラス思考に物事を願うと、確実にそっちへひっぱられる不思議な感覚を味わうようになってきました。
逆をいうと、
「どうしよう、どうしよう」そればっかりを思っていたあの頃は
マイナスに物事が働いていたのだと、今になって気が付きました。
周りのいろんな事に振り回されて、ツライ思いをしていたように思うけど
実は自分でマイナスを引き寄せていたんだなあ~と、ヨガが教えてくれました。
ヨガにありがとう。
沢山の人にヨガを経験してもらいたいなあと思います。
そうすれば、世界は本当に幸せになれると思う。
何が一番大切かを教えてくれます。
この国にとっての幸せとはなんなのか
残念ながら間違った方向へ間違った方向へとの流れはそう簡単に軌道修正ができないようです。
でも、気付きはじめた人から、変わっていけば、きっと、それはいずれ、大きな力になると信じています。
ヨガ教室の勝山先生のブログ
ブログの言葉を追うだけでも、沢山の気付きを与えてくれます。
今月から夜の教室も追加になったそうです。
とても人気の先生で、東京や鎌倉からも生徒さんが通ってくるのだから、
やっぱりすごい先生なのかな~と思ったり。
出会えた事も、不思議です。
導かれたのかな。
コメントをお書きください
take (木曜日, 04 7月 2013 06:33)
人の命は自然の摂理の中にあります。
世の中のすべての命、小さなムシから植物、人間まですべてです。
心の安定はこの摂理を常に感じていられることで保たれるように思いますよ。
人の食べ物はすべて自然の産物だし、内容は違うけど野生動物でもそれは同じこと。
ところが人間社会は世の中に人しかいないと思えるほど、摂理に反している様。
人間社会の大きな川の流れが宗教となっている風です。
それから考えると、ヨガはなんだか流行のサプリメントのようにも感じます。
決して悪いものではないと思いますが、周囲にムシの生命がないのが気にかかります。
私の知っているヨガの知識は自然と一体になるものだったような・・・。
りん (木曜日, 04 7月 2013 08:34)
takeさん
おっしゃるとおりに人間はすっかり自然の摂理から離脱してしまいました。
ただ、その事に気が付かず、なぜ、自分の中に苦しみが生み出されてくるのか、それに気が付か人が多いと思います。
わたしもその1人だったと思います。
長い長い時間を、抜け出せずに苦しんできたのは、きっと私だけではなく、沢山沢山いるのだと思います。
それどころか、どんどん増えて来ていますよね。悲しい事です。
ヨガは、自然との結びつきを取り戻すための手段だと私は考えています。
残念ながら、なんちゃってヨガ、的な教室もとても多く、間違った価値観を教えるヨガ教室も沢山あるので、全体的にみるととても違和感を感じると思いますが、そこはとても残念な事です。
今通っている教室は山の中にあります。
まさに、自然と一体になる感覚を感じつつ、学びます。
失われていた自分の感覚が少しずつ目覚めてきます。
それはすなわち、自然との関わりの中にある、当たり前に持っていたものだったのだろうと思います。
沢山の事を私達は失ってきたことに、気付かされます。
たったの4年で分かる事はとても少ないと思います。もっと時間をかけないと見えてこないものも沢山あるでしょうから、私からヨガを語れる事は、そう多くないのが残念ですが。
大地と繋がりなさい。
その言葉を繰り返し繰り返し言われます。
ヨガなどなくても、自然の中できちんと生きられれば、それが一番なんだと思います。
ですが残念ながら、今の日本ではそれはできなくなってしまいました。
一見自然の一部のように感じられる畑も、とても人間の身勝手な振る舞いが多く見られます。
人間の都合によって育てられて作物。
すべてを搾取するのでなく、自然の一部をいただく、そんな農業のあり方に変えていってほしいと願っています。
大地との繋がりをすっかり忘れてしまった人たちが、ポンと、自然に放り出されてももはや生きてはいかれません。
大地との接点を少しずつ少しずつ取り戻すために、ヨガがあるのだと思います。
見えない力に導かれる感覚が生れる。
それはつまり、自然の一部として生きている自分を取り戻しつつあるからなのだと思います。
まさに、自然と一体になるために、ヨガを学ぶのだと思います。
take (木曜日, 04 7月 2013 10:08)
「大地と繋がる」ということはどんなことなんでしょう?
大地とは山や森? 土でしょうか?
森へ行くといま緑一色ですが、すべてマスの塊でなく、木や草の一本一本があります。それらには全部、別々の名前があります。そしてそれぞれ違う花を咲かせ大小の実を付けます。
その花はムシに蜜を与え受粉させるという共生にあります。その実はテンやハクビシン、ネズミなどの動物や鳥のエサとなり、分布を広げる共生関係にあります。
森は古くなった木が倒れ、新しいものと更新して行き、その成長過程で多くの酸素を生みます。
この酸素が生物全部の細胞を育んでいます。
チョー簡単にいうと「大地に繋がる」とは、こんなことをイメージしろということですか。
でも、そうじゃないですよね。
上に挙げたのはそれでも頭の固い大人の観念のワクの中のものです。
植物や動物はよく見れば面白いことするんです。発見の驚きや感動があふれています。
数万年の経験を経ていろんな知恵をもっているんです。人間の薬にも栄養にもなるです。
それらをいくつ知っているでしょうか? 植物一種、動物一種でそれがいくつもあるのです。
それをたくさん言えるのが自然と一体であり、大地と繋がっていることだと思いますよ。
あえて森へ行こうとは言いません。毎日の周囲の自然からこれらを観察できますし、それを生活に取り入れられるでしょう。人間の手を経ずにそこに住着いた生命をじっくり見るだけで楽しいし、気に入らないのは引っこ抜いても殺してもいいんです。
気に入ったものをいつも観察するだけでいいのです。
残念なのは住宅街の植性は園芸種や外来種で埋め尽くされてしまっていることですか。
まあ、森へも行ってください。そしてあまり動き回らず、何か面白いものを探してください。
りん (木曜日, 04 7月 2013 11:06)
takeさん
ああ、きっと、もっと自然の中に入りなさい。ヨガなどやるよりもてっとり早いですよと、そうおっしゃりたいのかなと感じました。違っていたらごめんなさい。
そうかもしれませんね。その方がてっとり早いのかもしれません。
大地とつながる。私は今学んでいる途中なので、それを明確に伝える事は難しいですが。
全てのものが関係している、例えば目の前のコップ。鉛筆。そういった無機質なものであっても。
大地とつながるとは、すべてのものへの繋がりを意識するようになるという事ではないかと思います。
私も以前から山が好きだったので、あまり時間はありませんが、時間があると、ふらっと幕山や真鶴のお林へ行ったりします。
以前と変わったと思う事は、ただそこに木がある。ただそこに花がある。ああ、きれいだな。うつくしいなあ。
満足。
それで終わっていた世界感が、ヨガによって、今まで感じなかった事に目が行くようになる。
それは経験として私の中でしか存在しませんので、なかなかお伝えするのは難しいですが。
見え方を変えていくために、ヨガがあると思っています。
今までは、山へ行ってもそこに自然があるだけで、それを眺めている自分がいただけなのだと思います。
自然へと導くために
ヨガを通して、森や海へと意識が流れていくのだと思います。
ただ、私の文章から、tateさんが、私の中に、自然を感じ取れていないのだなと思いました。
私は私の中で、それがなぜそうなのかを考えていく必要があるかもしれませんね。
自分では自然に近くなったと感じているけれど、それはうわべだけで、本当の意味ではまだ分かっていないのかもしれません。
確かに先生にも左脳、思考や理論ばかりが優位になりすぎている。
もっと右脳を使えるように、知覚や感性を目覚めさせるようにしないといけないと、こないだ注意されました。
takeさんがおっしゃりたいのも、きっとそういう事でしょうね。
生き方とは難しいですね。
私は森や海も大好きですし、でも一方で人間的な書物や知識を得る事も大好きで、それこそ時間があれば、何時間でも本に没頭してしまいます。
そのバランスをうまく取っていく事が課題でもあります。
その時々で、失敗を繰り返し、生きていくのだと思います。
今年は引っ越しをして、小さいながら、庭に畑ができました。
トマト、ルッコラ、ニンジン、ニラ、ネギ、沢山のハーブ、それらの成長を毎日眺めています。
そういう事でもいいのですよね。
虫食いのはげしい物もありますが、駆除せず、見守っています。
アブラムシが沢山ついたヨモギに、アリがまたわんさとよって来たり。
場所によって成長が違うのはなぜなのか、それを眺めながら色々考えています。
森へも行きたいと思います。(これもヨガの先生にいつも言われている事です)
ありがとうございます。
感謝です。
take (木曜日, 04 7月 2013 13:18)
そうですね、りんさんは理屈から始めるタイプかもしれませんね。
私もそんなところがありますよ。ただ、山や海が好きとは言いません。それではあまりに大雑把で一括りだし、できれば自然って言葉も使わないようにしたいぐらい。
森へは今日はリス観察とか、あの植物がどうなったかなど一応テーマをもって行ってますし、海での興味も多岐に渡ります。
いまでは山とか海という概念が希薄になっていると思いますね。
ただそれでもまだ知らないことがいっぱいで、ぼんやりしてたら何もまとまった知識ができないまま終わってしまうかな〜って畏れてます。
りんさんはまだ若いから時間ばたっぷりあると思います。
歳とって何も知らないダメ老人になりたくなかったら、自然からは逃げられませんよ。
なんなら自然の知識も本から入っていったらどうでしょうか。
近くに本物の自然もあるわけで検証するのも容易です。
しかし、そんな本あるかな〜?