悪あがき

先日ブログにアップした辛淑玉さん講演があまりにも男前で、辛淑玉さんの本を読んでみたくなった。

早速アマゾンで検索「悪あがきのすすめ」を読んでみた。

引き込まれて一気に読みました。

世の中理不尽な事は5万とあって、そしてそれに目をつぶり、見て見ぬふりをする人は少なくない。

そのために虐げられる人々は必ず存在しているわけでそういう事にもっともっと悪あがきしなさいよと、この本は伝えている。


辛淑玉さんは東京生まれの在日韓国人。

朝鮮人差別を幼いころから受けており、幼少期から「悪あがき」をし、戦いながら生きてきたという。

辛淑玉さんの弟の生い立ちもあまりにも壮絶な人生である。

リンチにより14歳で死のふちを何度も歩いたと。

人間とはなぜこうも簡単に人を傷つけられるのかと悲しくなる。

 

本の中には、様々な悪あがきをしてきた方々が紹介されている。

みな、とても前向きに戦っており、そしてみんな声をあげてよかったという。自分が成長できたという。その活動の中で得られた人脈、人々の想いは、すばらしい人生の財産になっていく。

 


悪あがきをして生きなさい

それはきっと自分磨きにもなる。

「世間体が悪い」とか、「社会に波風たたせないため」とか、そうした表面的な「善」に配慮する事によって、本当の正義が損なわれ、差別や不正が温存されるなら、それは決して本来の意味での「善」ではない。


自分もどちらかというと、子どもの頃からちょっとした先生の理不尽な言動が我慢ならず、悪あがきしてきた。

その事で「問題児」のレッテルをはられ、随分戦っていたなあと思う。

先生が言っていた言葉は「子供のあなたにはまだ先生の言葉が理解できないでしょうが、大人になれば分かります。理解できる日が来ます。」との事だったが

今でもきっぱりと、先生の主張は間違いであったと思っている。

なぜなら先生の主張はまぎれもなく、表面的な「善」であったにすぎないからだ。


表面的な「善」を植え付けるのが、日本の学校教育の目的なのだろうか。

だけれど、それでは差別や不正が温存されるしまうのではないかと思う。


本当の「善」とは何か。

少しずつでも、「悪あがきの輪」が広がるといいなあと思う。

そうでないといつか日本はだめになる気がしてならない。