すべてはなるようになっていく

ふっと、気が抜けた感じの今日です。

 

昨日は最終採決。

不採択でした。

詳しくは子供みらいのホームページを見て下さい。

 

ご協力下さった皆さん

ほんとにありがとうございます。

 

不採択ですが、気持ちは明るいです。

紹介議員である丸山議員さん、小沢議員さん、堂々と答弁されていたし、表情は明るかった。

 

一方不採択に持ち込んだ議員さんがたの表情はどうだろう?

心のうちはどうだろう。

 

確実に、何かが変わった。

今回の請願、そして署名活動は確実に

意味のある結果へとつながっていくと思います。

 

そんな確信を今もっているので、心はいたって軽いです。

 

ここのところ休む間もなかったので、正直休みたいところだったのですが、待ってましたとばかり、仕事が山のようにやってきました。

私の人生に息つく暇はないのかも。

案外とこれでずっとのり切れてきたので、さあて今日もがんばりましょう。

 

今日の茂木健一郎さんのツイート、よかったので、メモしたい

 

 

連続ツイート第734回「他人のためにと思えば、無限のエネルギーが出る」

 

よく、若者が来て、相談を持ちかけられる。茂木さん、仕事、どうしたら見つかりますかね、どうしたら、恋人をつくって、幸せになれますかね。そんな人に、私は言う。君ね、自分のことばかり考えていると、限界があるよ。だって、世界に、自分って一人しかいないだろう。

「自分のために」とがんばろうとすると、結局、一人分の力しか出ない。しかも、「自分」は必ず偏っている。どんなものが好きか、何を求めているのか、よくわかっている。だから、「自分のために」がんばることは、狭い世界に閉じこもることであり、それほどの発展がない。

発想を変えて、他人のために何か役に立つことをしよう、と考えてみる。すると、他人というのは社会の中にたくさんいるから、多くのエネルギーが出る。最初は10人、100人、1000人。世界中の何百万人。それだけの人に役立つことをしようと思ったら、たくさんのエネルギーが出る。

しかも、不特定多数の他人のためにがんばろうと思ったら、「人間」というものをその多様性と普遍性において知らなくてはならない。世の中の人は、何を求めているのか。何に悩み、困っているのか。自分以外の他人が良く見えなければ、他人に役に立つものを生み出すことはできないのである。

自分が何とかなろうではなく、他人のために何かをしようするとする。そのように発想を変えた時に、無限のエネルギーが出て、そしてそもそも人間は何を求め、よろこびとするのかという人間観が問われる。だからこそ、利他に生きることは、その人を鍛え、成長させるのである。

不思議なことに、他人のために奔走している人を見ると、世間は、「ありがとう」と言いたくなる。そして、いろいろとお礼をしてくれる。世評も高まるし、結果として生活も何とかなるようになる。つまり、利他を貫くことが、結果として、自分のためにもなる。ブーメラン効果があるのだ。

アインシュタインは、「ある人の価値は、その人が自分からどれくらい解放されているかで決まる」と言った。その意味は、「自分のために」といくらがんばっても発展性がないということであり、発想を変えて利他のためにピッチを疾走してこそ、人生は開けていくのである。

ところで、利他を図ることが結局利己になることは、個人だけでなく組織や国も同じこと。失われた二十年の中で、日本はすっかり余裕を失い、最近は短絡的な意味での「国益」を主張する声が強いが、そんなことをしても世界からは尊敬されないし、国益にも適わない。自分勝手は孤立するだけだ。

貧困や、格差、教育の問題など、世界には解決すべき問題がたくさんある。日本は、そのような普遍的な問題にこそ貢献すべき。そのような気持ちを忘れなければ、必ずまた日は昇るだろう。身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ。ナルシスト的な利己主義は、結局国をやせ衰えさせるだけなのである。