先日、本屋で一冊の本に出会った。
「大往生したけりゃ医療とかかわるな」自然死のすすめ
より良い死に方について書かれていた。
死ぬのはがんにかぎる
がんで死ぬんじゃないよ、がんの治療で死ぬんだ
本人に治せないものを、他人である医者が治せるわけがない
手遅れのがんでも苦痛なしに死ねる。
目から鱗の言葉が次々書かれている。
死というのは自然の営みですから、そんなに過酷ではないのです。痛みや苦しみもなく、不安や恐怖や寂しさもなく、まどろみのうちに、この世からあの世へ移行する事だと思うのです。
それなのに、点滴をしたり、鼻チューブをしたり、無理やりに生かそうとすることで、必要のない苦痛を与える事になっている。
過剰医療の問題点を指摘されていました。
この著者の中村さんは、医療にはお世話にならない、救急車にも乗らないと決めているそうです。
ご自身がお医者様なので、ご自分で医療の限界に気づいていらっしゃるのかもしれません。
さすがに、薬を飲まない私でも、何かあれば救急車のお世話になりたいなあ~とは思うのだけど、中村さんの決意は潔いなあと感じました。
この本にも書かれていますが、病を治すのは結局は自分の力。
薬で治った、医療で治ったと思うのは間違い。根本は自然治癒力で治っている。薬や医療は補助でしかない。
その事をきちんと分かっていれば、
自分自身の力を信じる事ができるのかもしれない。
そしてね、
生きているうちに、家族ともっと「死」について話し合いなさい。
やはり人は、生きてきたように死ぬのですと、書かれてあります。
死ぬことを考えるという事は、今生きている事を考える事になるという事なのでしょう。
私は実は健康診断は受けていません。それからがん検診も一度も受けた事がありません。
40歳もすぎた年齢になりますと、乳がん検診、子宮がん検診、そして毎年、健康診断のお便りが届きます。
でも即、ごみ箱へポイです。
そういう事を言うと、周りから奇妙な目で見られるので、あまり口にはしないのですけどね(笑)
この本の著者の中村さんも検診を受けない。検診には否定的との事で、
私の考え方も、あながち間違っていないかも、とちょっとうれしくなりました。
私はもう、40年以上生きてきました。もう十分だと思っています。残りの人生はおまけと思って生きています。
もし、なんらかの病気にかかってしまっていたとしたら、潔く受け入れようと思っています。
そしてできれば、気が付いた時には手遅れになって、中村さんの言うように、抗がん剤治療などせず、安らかに死にたいなあと思っています。
それなのに、下手にがん検診などして早期発見などしてしまったらどうなるでしょう?
抗がん剤治療を強要されるでしょう。そしてとりあえず摘出できたとしても、「再発」という恐怖におびえる日々を送る事になるのではないだろうか。
それこそもう、医療漬けの一生になってしまいます。
そんなの私はごめんだ。知らない方が幸せという事もある。
いつ死んでもいいと思っていますが、人一倍、しっかりと生きています。
明日死んでも後悔しないように、今日を終えるようにしています。
食事にも気を使い、夜更かしもしませんし、運動はそれこそみっちりやってます。
検診を受ける事よりも、そういう事の方がずっと大事ですよね。
がん検診の不利益について、本に書かれていたことを抜粋してみます。
- 検診によって100%がんが見つかるわけではない
- 過剰診断により、過剰な検査や治療を招くことがある
- 心理的な影響。精密検査が必要という事で、不安を感じる場合がある
- 検査には偶発性がある。たとえば内視鏡検査で出血や穴が開くなどの可能性があり、極めて稀には死亡することもある
- 放射線被曝の問題がある。「がんの誘発や遺伝子的影響が全くない」とは断定できない
検査は絶対ではないという事を肝に命じ、受けるか受けないかを個人で判断する事が大事ですね。
がん検診を勧めるお医者様の本も読みました。みんながみんな、検診を受けるようになれば、がんは減ると。
今やがんは治る時代。検診で早期発見できれば、がんは治るのですと。
でも本当にそうなんだろうか?
無駄なものなどこの世に存在しない。
自然農の考え方です。
雑草や虫を敵としない。共存しながら野菜を育てる事を実践していく。
病も同じでしょう。
「病」や「死」を敵としない。悪い事と考えない。
多くの「死」によって、私達は支えられて生きてきたのですから、
今日という一日をどれだけ精一杯生きられたか。
豊かな死を迎えられるように、今を生きたいですね。
ああ、そうそう
余談ですが
アイヌのアシラレラさんは、ご自分のがんを、祈りで治してしまったそうです。
ほんとに人間って、計り知れない力を持っているのかもしれないですね。
コメントをお書きください
Mariposa (日曜日, 08 7月 2012 22:25)
りんさんお誕生日おめでとー♪
新たなる楽しい一年を過ごして下さいね。
そうそう、この本、先月末、料理の大先生からこの本を紹介してもらったとこでした。
今の日本で、病院もいかず主治医もいないで、救急車にものらずに自宅で自然死すると、
家族に迷惑かけちゃうので、なんか良い方法ないかしら〜っておっしゃってました。
rinphotolife (日曜日, 08 7月 2012 23:50)
Mariposaさん
ありがとうございます!素敵な一年がまた始まりました。(笑)
この本、50万部突破!との事。目立つところにおかれていて、思わず手に取ってしまいました。
当たり前だった自然死が許されなくなってしまった日本。
なんでなのかしら。
でも私も、両親が苦しんでいる姿を見たら、「どうか助けて」と、お医者様に泣いてすがる事でしょう。
私達がどこか、生きずらくなってしまったのには、もしかしたら「死」を受け止める事がうまくできなくなってしまったからかもしれませんね。
ruma (火曜日, 17 7月 2012 08:34)
正直なお医者様がおられる。
その事実だけでも十分に救われます。
死=悪。生=善。
そういった決め付けは、保身が生きがいになった国民を食い物にする医者や製薬会社の思う壺のような気がします。
その瞬間が『安らか』であるという一点があれば、短い一生でも看取られなくても構わない。
と、私は常日頃から自己認識するように心がけています。
rinphotolife (火曜日, 17 7月 2012 22:16)
rumaさん
コメントありがとうございます。
正直なお医者様がいる事、本当に救いですね。
もうすでに、私達は医療とは切り離せない生き方をしてしまっているので、さまざまな場面で、いつも悩みます。
きっと昔は”死”が生活の一部に溶け込んでいたのではないかと思うのですが
今は、見ないように、見ないようにと、している様な気もしますね。
”死”があってこその”生”である事を、忘れてはいけませんね。