学校とは

学校ってなんだろうってずっと考えている。

わたしは実はもろ、問題児だった。「救いようがない」とまで、ある先生に言われ、ひたすら反抗していたので、学校って実はあまりいい思い出がない。

高校の卒業式は出席しなかった。せめてもの意思表示。担任も何も言わなかった。


今の学校は自分の意見を述べる事を生徒に求めるらしい。

だけど、息子に聞くと、先生は「良い子の意見」を求めるらしい。

それはすでに、自分の意見ではないのにと、息子はぼやいている。


読書感想文を書かされた時の事。内容はよく聞かなかったが、夢を追い求めるというような内容だったらしい。

それの感想として「偽善だ」的な批判的な事を書いたら突き返されたそうだ。ようするに、批判的な事はあまり書くなと指示されたそうだ。


わたしも思春期に反抗していた人間なので、気持ちはわかる。とかく思春期なんて、正義を押し付けられる事をいやがる年齢だ。だって大人事態、それだけの事、してんのかよ、ってずっと思っているし、今も思っている。


だけど大人になって今思う事は、そういう、どうにもこうにもならない学校という場で、葛藤するのも大事な時間だと思うようになった。

すべてにおいて自由を与えられ、自分の頭で考え行動する事は実は難しい。

それはこの歳になってようやく気が付いた事だけど、自由ほど苦しいものはないし、その自由の中でしっかりと生きられている大人は実はほとんどいないと、わたしは感じています。

 

偽善を押し付けられ、何かおかしいと感じ、そこから飛び出す勇気を与えられ、自由ってなんだって事に目を向けるきっかけを与えてくれる、学校とはそんな役割もあるのかもしれない。

 

それは親も一緒だ。

わたしは親からずっと、音楽を強要され、遊びの時間を削って、ピアノを弾く事をずっと強いられて来た。

そして20歳の時に爆発して投げ出した。

投げ出した事で、必死でがんばれたのかもしれないと、今では思う。

自由にしなさい、自分で選択しなさい、と言われ続けていたら、道に迷っていたかもしれない。

 

とくに中学生って難しい年齢だ。

学校嫌いだったわたしが、また、子供を通して学校という現場に関わるようになって

子供の頃とはまた違った視点でいろんな事を考えています。

 

子供にはすべてを与える必要はない。

というのが今思っている事。

より、窮屈で、退屈で、つまらなくて、どうにもならなくて、ジレンマいっぱい感じて

そっから抜け出すエネルギーを、持てる若者だけが、吐出して伸びていくのかもしれない。

 

学校とは、飛び越えるためにある。

 

こんな事ばっかり考えているわたし。

子供達は、うちの母ちゃんはなんか変だ、とずっと思っているらしい。

変であること、大事だよ、と、ついつい言い訳してしまう。(笑)