わたしがかかわらせていただいている動物保護団体
も
も、
ホームページを立ち上げてから、おかげさまで保護犬の数は増えたようです。
うれしい悲鳴ですが、実はひっきりなし。救っても救っても終わりがない。
持ち込まれる動物は後をたたない。
今日はとても素敵な記事を見つけたので、皆さんに紹介したい。
本文より
「本来、市の窓口は市民に嫌な思いをさせてはいけないのですが、犬を捨てに来た人には、嫌な思いをしてもらおうと決めました。窓口では時には声を荒げてでも説得し、翻意してもらおうと考えたのです」
場合によっては、飼い主を殺処分に立ち会わせる。
とてもすばらしい試みだと思います。
熊本では努力の結果、殺処分数が10年前の10分の1まで減ったそうです。
はやく日本中にこの活動が広がってほしい。
コメントをお書きください
フランキン@伊豆のエフエム (月曜日, 04 7月 2011 11:14)
人間の必要と都合のために他の生き物の命が左右されていく・・・
それは昔から、そしてこれからも在り続ける現実なのでしょうね。
でも、不必要に、そしてその行為の意味を見つめられることもなく
無為に消えていく命は無数にあることに哀しみを感じます。
人間は見たくないものに目を塞いで
まるで何事もなかったかのように思い込もうとする・・・
生き物と関わる・・・というのは、
プロセスをすべて受け入れることだと思います。
以前、あるニュースに接して思い出した記憶をブログに書いたことがあります。
http://p.tl/tDdD
Rinさんのこの日記を見て思い出しました。
rinphotolife (月曜日, 04 7月 2011 12:36)
フランキンさん
コメントありがとうございます。
ブログ、涙しながら読ませていただきました。
わたしも保護団体の方に保健所まで同行させていただいた時に、よれよれな老犬と出会いました。目が見えず、耳が聞こえず、歯もありません。
ボラさんが、たぶんだめだけど、連れて帰ってあげよう。
って、その数日後に、ボラさんの家で亡くなりました。
ものすごくショックでした。
老犬が持ち込まれるケースはとても多いそうです。
なぜ、最後の時を、一緒にいてあげられないのか、長い時間を共に過ごしてきたはずなのに。
プロセスをすべて受け入れる事ができなくなってきている人が増えているって事なんでしょうか?
とても胸が苦しいです。